商品名:川合玉堂『渓畔晩涼図』額 商品コード:T-P-2012-A-17076 
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黄昏の光の移ろいをとらえた名墨蹟
 
移ろいをとらえた名墨蹟
川合玉堂『渓畔晩涼図』額
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販売価格48,000円(税別)

 52,800円(税込)
原産国/原産地 7,000円(税込)
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日が沈んで夏の暑さがやわらぎ、涼しくなった農村の風景。川のほとりに佇む木々は、だんだん弱くなる日の光のため、影を濃くしています。淡い水墨のみで、その爽やかで瑞々しい情景を豊かに描いた巨匠・玉堂の筆が冴えわたる逸品。生活感を漂わせ心和むのは、夕餉の白煙を立ち上らせる家に向かい歩む馬と農夫の姿。印象派が隆盛した当時の西洋の美術界も驚嘆させた自然描写の極みが、この名作にあります。世界に誇る日本画家の傑作を、ぜひお手元にして、無類の芸術をご堪能ください。

■川合玉堂略歴
明治 6年:11月24日、愛知県葉栗郡外割田村に、父川合勘七、母かな女の長男として生れる。本名芳三郎。
明治20年:岐阜尋常高等小学校を卒業。京都望月玉泉の門に入り、「玉舟」の号を与えられる。
明治23年:勧業博覧会出品にあたり、玉泉の玉と外祖父竹堂をとって、「玉堂」と改める。幸野楳嶺に師事する。
明治29年:上京。橋本雅邦の門に入る。
明治31年:日本美術院創立、雅邦に従ってこれに加わる。
明治40年:東京勧業博覧会の審査官。文展審査員に任命せられる。
明治43年:イタリア万国博覧会鑑査委員に任命せられる。
大正元年:文展日本画部を二科に区分、日本画部第二科審査員に任命せられる。
大正 3年:農商務省より大正博覧会審査員に任命せられる。
大正 4年:東京美術学校教授を拝命。10月若宮町の住宅落成。
大正 6年:帝室技芸員を拝命。
大正 7年:東京美術学校日本画科主任に任ぜられる。
大正 8年:帝国美術院会員となる。
大正13年:小堀鞆音、下村観山、山元春挙、竹内栖鳳、川合玉堂、横山大観、6人の淡交会設立。
昭和 2年:従四位に叙せられ。
昭和 6年:フランス、レジョン・ドヌール勲章を拝受。6月、イタリア皇帝よりグランオフイシエー・クーロンヌ勲章を拝受。
昭和 7年:正四位に叙せられる。
昭和 8年:ドイツ政府より赤十字第一等名誉章をおくられる。
昭和10年:帝国美術院会員に任命せられる。11月、勲三等瑞宝章を賜る。
昭和15年:紀元2600年式典当日、文化勲章を受章。
昭和19年:東京都下西多摩郡三田村御岳に疎開。12月更に古里村白丸に転居。
昭和20年:牛込若宮町の住宅戦災に遭い焼失。12月三田村町御岳に移り住家を「偶庵」と称する。
昭和27年:玉堂、大観、龍子の三人展雪月花展を開催。
昭和30年:大観、玉堂、龍子の三人展松竹梅展を開催。大観は松、玉堂は竹、龍子は梅の課題。名誉都民、青梅名誉市民に推薦される。
昭和32年:6月30日逝去(勲一等旭日大綬章を賜わる)享年84。

●絵寸法(約)/100×35cm●額寸法(約)/124×48cm●重量(約)/5kg●高精細デジタル印刷専用布●額材質/女桑縁・アクリルカバー入・掛け紐付

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