商品名:東山魁夷『満ち来る潮』 商品コード:T-P-2012-A-18913 
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魁夷が手がけたのは、国賓が宮殿を訪れる際に最初に目にする長和殿の障壁画。
 
全体に広がるダイナミックな海
東山魁夷『満ち来る潮』
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販売価格650,000円(税別)

 715,000円(税込)
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横幅9メートルを超える《満ち来る潮》は、画面全体に広がるダイナミックな海が、強く印象に残る大作である。描いたのは、日本を代表する風景画家・東山魁夷(1908-1999)。本作品の制作の2年前に、魁夷は海を主題にしたもう一点の大作を手がけていた。
1966(昭和41)年、天皇が国事行為や皇室行事などの儀式を行う場として、新たな宮殿が造営された。基本設計は魁夷と東京美術学校(現・東京藝術大学)同期の建築家・吉村順三(1908-1997)が担当。同時に、国内外の賓客を最高の日本美術で迎えるため、当時、第一線で活躍する画家の作品で新宮殿内を飾ることになり、魁夷も宮内庁から作品制作を委嘱された。
魁夷が手がけたのは、国賓が宮殿を訪れる際に最初に目にする長和殿の障壁画。宮内庁から、観た人が「日本へ来た」と感じられる風景画を制作するようにとの依頼を受けた。それに対し、魁夷は日本を象徴する海、特に永遠の生命感の表れである「動」の波と、それとは対照的な「静」の岩を描くことに決めている。この作品の制作にむけて、魁夷は約1年間、さまざまな場所を取材、写生した。北海道の襟裳岬や、日本海側、太平洋側の国内各地の海辺はもちろんのこと、波と岩を描いた古画や枯山山水の庭を観ようと京都の寺院も訪ね歩き、《朝明けの潮》を完成させた。
当時、この作品を新宮殿で目にした私の祖父で、山種美術館・創立者の山崎種二は感銘を受け、より多くの人が鑑賞できるようにと魁夷に同趣の作品を依頼した。当初、なかなか承諾を得られなかったが、「日本画壇の代表として永久に美術館にお預かりしたい」と再三にわたってお願いを重ねた結果、1970年、《満ち来る潮》が制作されたのである。この大作が搬入され、当館で公開する前日、来館した魁夷は採光の加減でどうしても手を加える必要があると、現場で約7時間かけて補筆した。夫人も同行され絵具を溶く手伝いをしながら魁夷を助けたという。新宮殿の《朝明けの潮》には日本の平和を象徴するため、静かな落ち着いた引き潮の海が描かれているのに対し、当館の《満ち来る潮》では証券会社の経営者である種二のために験を担ぎ、岩にぶつかり勢いのある上げ潮の海が表現されている。
また、《満ち来る潮》に描かれた内容に注目すると、海の深浅を表現しようと、水には緑青を基調にした色のバリエーションが使われている。さらに、海面に反射する日の光には金箔、白波や波紋にはプラチナ箔が見られる。魁夷は白波の表現に対し、通常ならば胡粉(牡蠣などの貝殻を加工した白色の絵具)を用いるところ、本作品にはプラチナ箔にした理由として、「より装飾効果もあり、重厚さや品格を加える」目的のため、新しい試みとして行ったと述べている。さらには、金やプラチナ箔を細長く切った野毛や、細かくした砂子が使われており、平安時代から受け継がれてきた伝統的な切箔の技法を取り入れている。魁夷は新たな試みや伝統技法も交え、この大作を制作したのである。
新宮殿にある《朝明けの潮》を契機に、よりダイナミックな海として描かれた山種美術館所蔵の《満ち来る潮》。魁夷が日本の象徴として海を表現したその想いを感じ取っていただければと願う。
山種美術館館長 山崎 妙子

●技法/彩美版(R)プレミアム●限定500部●画寸法/36.5×88cm●額寸法/49.5×100.8×3.5cm●額縁/特注浮き出し加工木製額(シルバーフレーム/メタリックマット梨地)●重量(約)/5.7kg●許諾/東山家齋藤進●証明/東山家齋藤進、山種美術館●原画所蔵/山種美術館●解説/山種美術館館長 山崎妙子

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